フラメンコ

本当に、おおげさじゃなく、なん10年も待ち続けたフラメンコのレッスンを、
きょう受けてきました!
カスタネットの打ち方、手と顔の動かし方、足の出し方、
靴の鳴らし方、手の打ち方……
と、1時間15分はあっという間でした。
どれも難しいと言えば難しいのですが、なんだか、やっぱり、どれもこれも、
「水がしみ込んでくるように」、とても気持ちよく感じました。
先生もとてもすてきな女性で、わたしは体の力をすっと抜くことができました。
 今回フラメンコを「どうしても習おう」と思ったきっかけは、
今年の3月9日のユニバーサルデザインオペラ「カルメン」(ハイライト)で、「ハパネラ」などを歌わせていただいたことです。
来年の1月11日に、「カルメン」を通しで公演することになっていて、
そのオーディションが5月17日にあるのです。
わたしはまた「カルメン」の歌で受けるつもりですが、採用されるかどうかは
わかりません。
「合唱のアルト」と言われれば、それも魂を込めて歌いたいと思ってます。
実際合唱が本当に少ないので困ってもいるのですから。
でも、やっぱり、わたしの血の中には、「ジプシー」の血が
流れているのかもしれません。
カルメン」を歌わせてもらえなかったとしても、やっぱりフラメンコは
「身にまといたい」のです。
「悟りの境地」にでもならなければ消すことのできないもの!
わたしの中で激しく燃えたぎるもの!
行き場のない悲しみ!
悔しさ!
嫉み、それらのマイナスのエネルギーを、あの情熱のリズムにぶつけて
「無」にしてしまいたい。
そんなことを思ってしまうのです。
 「フラメンコ」に身を投じた感想を一言で言うなら、長い間憧れていた人に
「決死の覚悟で」告白して、それがしっかり受け止められたという気持ち。
「君をずっと待ってたんだ!」なあんて言われちゃって……!
(わたし妄想癖がある?)

ロミオとジュリエット

 市民劇場で「ロミオとジュリエット」を見ました。
仲代達也さんが、ジュリエットに仮死状態になる薬を与える老神父の役でした。
2列目の端っこで見たのですが、なぜか思いっきり寒くて、底冷えがして、
帰宅してからも、なんだか体中がこわばったみたいに緊張しています。
芝居で驚いたのは、ちゃんとマイクが仕込んであったことです。
それでも言葉が聞き取りにくいところがありました。
シェークスピアの劇は、しゃれた言葉がおもしろいのですが、そのおもしろさが、
十分伝わっていなかったような気がしました。
あれって口の開け方なのかなあとか思いました。

 目が見えない場合、お芝居は、本当は、最前列の真ん中で見るのが
一番わかりやすいのです。
俳優さんたちの動きがとても良くわかるからです。
昔、奈良岡智子さんの「雨」(サマセット・モーム原作)を見た時、
奈良岡さんはサディー・トムスンという娼婦の役でした。
そして奈良岡さんがつけていた香水のおかげで、わたしは奈良岡さんが
今どこにいるかがわかって、とても嬉しかったことがあったのです。
役者さんの中には時々、その役にあった香水などをつけていることがあります。
それって見えないところでの演技だと、わたしは思うのです。
だからわたしもまねして、カルメンを歌った時、「モンジャスミンヌワール」という、ちょっと小悪魔的な香りを使ってみました。
でも、「香水」が大っ嫌いという人もいるので、ほんの少し匂わせるだけだったので、結局自分だけのための「演技」だったのかもしれませんけど……。

カルメン

3月13日(木)雨

 本当は、昨日から岡崎の実家の古民家に泊まり込んで、
お百姓のまねごとをする予定だったのですが、
ああこの雨!
そんなわけで、今日は我が家で一人、とてものんびりした日を過ごしているのです。
レコードを聴いたり(CDじゃなくて)、コーヒーを何倍も飲んだり、本を読んだり、りんごを食べたり……。

 3月9日、オペラプラザ岡山の5回目の公演が、無事終了しました。
今回は、「カルメン」のハイライトコンサート、そして
ヘンゼルとグレーテル」のショートバージョンでした。
カルメン」は3人で、わたしはあの有名な「ハパネラ」を
歌いました。

 わたしたちのオペラは、ユニバーサルデザインオペラといって、
プロ・アマ・老若男女・障碍の有無を問わず、
誰でも参加して楽しめる集団なのです。
もちろん観客の方にも楽しんでいただくために、すべて日本語で歌います。
いらしてくださった方々、本当にありがとうございました。
まだまだ未熟なため、お聴きになるのに疲れたかもしれませんね。
ごめんなさい。
来年は1月11日に「カルメン」の全編をやります。
わたしは何を歌わせていただくかまだ分かりません。
合唱の下支えのあるとかもしれません。
それでもどうぞまたよろしくお願いします。

 岡山でのUDオペラの始まりは、2008年の夏のことでした。
創始者の石多 エドワード先生が来岡されて、
「みなさんオペラをやってみませんか?」といわれたのです。
それから、「とにかく1度オペラをやってみよう」ということになりました。
演目はモーツァルトの「魔笛」。わたしは進行役の3匹の猿、「見ざる・言わざる・
聞かざる」の見ざるをやりました。
それからずっと、いつも、猫だとか動物の役ばかりやっていて、
セリフはあるけど、ソロで歌ったことなどありませんでした。
でも、毎月個人レッスンをしてくださった小山先生や、
指揮者の萩原先生のご指導のおかげで、だいぶ喉が開いて、
だいぶ声が出るようになりました。
わたしの本業の鍼もそうですが、歌もやっぱり、いい先生に習わないと、
いつまでたっても歌えるようにはならないのだなあと、しみじみ思いました。
今は感謝の気持ちでいっぱいです。

福島県民の歌

ソフィアリリーの日記を読んでくださっている方、こんにちは!
本当にお久しぶりです。
春が来たので、冬眠から覚めたクマみたいに、のそーっと出てきたわたし。
また日記を書き始めたいと思います。
どうぞよろしく。

ああ、また、あの日が巡って来た……。
きょうは1日そんな日でした。
もう3年にもなるのに、肝腎な所は手のつけようがないのに、
「オリンピック」だなんて!「原発再稼働」だなんて!
日本はどこへ行くのでしょう。
わたしたちは、わたしは、これから何をすべきなのでしょう。
権力者というものは、どうしてこうも、そろいもそろって
大バカになってしまうのでしょうね。

こんな不条理がまかり通っていていいのでしょうか?
それでもわたしたちは、黙って耐え忍ばなければならないのでしょうか?

YouTubeで、子供の頃聴いたり歌ったりした「福島県民の歌」を見つけて、
歌詞をじっくり聞いてみました。
一般から募集したものでした。心を込めて作られた詩だと思います。
それだけに、懐かしさとともに、悔しさがこみあげてくるのです。


? 福島県民の歌 - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=W7aRqWdho7w

誕生日

 11月12日はわたしが生まれた日です。
いつの頃からか、誕生日近くになると、必ず、何か心に「気づき」のようなものが「与えられる」気がしてならないのです。
天が与えてくれる誕生日プレゼントだと、わたしはいつも自己満足していました。
ところが今年は、そう言う事が何もなく、とてもがっかりしていたのです。
本当に!
 それが夜の11時頃、東京に居る長女から電話があって、「誕生日おめでとう」と言ってもらいました。
長女は今年thurty-one。もう、嫁になど行かないのだろうと思い込んでいたのが、
結婚したい人がいると言ってきたのです。
娘や我が家の事情などもわかった上で、娘と結婚してくれると言う事なので、きっといい人なのだろうと(勝手ですが)思うのです。
 「あ!これだ!わたしへの誕生日プレゼントは!」と、
心から喜びました。

鉄の女

 ある人がわたしを「鉄の女」と言いました。わたしに言っただけでなく、いろんな人にわたしのことを「鉄の女」と言っているそうです。そう言われたからといって、腹が立ったりいじけたりすることはまったくありません。ただ、目の前に鏡を差し出されたという気がするのです。
 わたしが住んでいるところは岡山。生まれは福島で、15歳から10年余は東京にいました。そんな具合でわたしの言葉は、ほとんど関東弁だと思います。自分ではあまり意識してはいないのですが、わたしの言葉遣いは、とても気取って聞こえるのだと思います、たぶん。そして、(楽しい気持ちで)しゃべると、パフォーマンスがかなり大きくなってしまうのでしょう、たぶん。そして、きっと、つっぱねるような言い方をするのでしょう、たぶん。
 それならばいっそのこと福島弁でしゃべってしまえばいいのかもしれませんが、これがまた思うようにはいかないのです。福島県のほとんどは「無アクセント地帯」です。東京あたりの言葉に比べたら、一本調子で柔らかく聞こえると思います。ところがわたしは、高校1年の時、福島なまりでしゃべるものだから、みんなにさんざん笑われていました。その時はとても恥ずかしくて、どうにかして国なまりを消す努力をしたのです。その結果、今さらたった一人で、福島言葉をしゃべることができなくなってしまいました。もちろん、福島の親戚や友達から電話があったりすると、とたんにきわめて流暢な福島弁をしゃべりだすのですけどね。
 でも、「鉄の女」と言われる所以は、言葉遣いばかりではないのでしょう。わたしは性格のきつい「女」なのです。どうしてなのか自分でもよくわかりません。それに、どうしたら「性格のきつい女」じゃなくなれるのかわかりません。はんなりと優しい言葉遣いの、まるで綿みたいな人になれたらいいのになんて、本気で考え込んでしまうのです。これはそうとう修行を積まなければ到達できそうにありません。たぶんそれ前に命が尽きてしまうのでしょう。となると、やっぱりわたしは、「鉄の女」というキャラに甘んじて生きていかなければならないのでしょう。

Windows8

 いよいよ、Windows8のパソコンを買ってきました。わたしはレッツノートが好きなので、Windows-XP、Windows7、そして今度ので3代目になります。わたしの気持ちとしては、古い、使い慣れたパソコンを大事に使いたいのですが、マイクロソフト社は、どんどん新しいオペレーションシステムを出してきます。ようするに、わたしもマイクロソフト社に踊らされてるというわけなのですが、新しいものについて行けないというのも具合が悪いのです。美作大學で、視覚障碍者がどうやってパソコンを使うかなんていう授業をもっている以上、やっぱりそれなりに知っておかなければ話にならないのです。という言い訳、本当はただ「おもしろそうだから」なのかもしれませんが…。
 わたしたち視覚障碍者は、パソコンに画面を声で読んでくれるソフトを入れて、その声を頼りに、キーボードを使って操作します。わたしがふだん使っているのは、PC-TALKERというソフトで、高知システムという会社のものです。視覚障碍者用のソフトは、何万円もしたりして、とても高いので、「高値システム」何て言ったりする人もいます。それでもやっぱり、使いやすさのことを考えると、「高くてもしかたがない」と思ってしまいます。
 何がおもしろいかって、今度のPC-TALKERは、パワーポイントにも対応しているのです。今までだって、目が見えなくてもパワーポイントを使って講演したりできる人も、いないわけではないのですが、とてもテクニックのいることだと思います。パワーポイントに対応しているといっても、それを使いこなすためには、これからいろいろ覚えなければならないので、わたしの中で実用化するのはいつのことになるかわかりませんけどね。
 今は、まじめにマニュアルを読みながら、わからないなりに楽しんでいます。今までは、いろいろな設定など、みんな人任せにしていましたが、遅まきながら、やっとそんなことにも興味がもてるようになったみたいです。